40おやぢの生活日記。沖縄中部編。
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2009年11月18日

恨む比謝橋や 情き無ん人ぬ…。(読谷 / 嘉手納)

恨む比謝橋(ひじゃばし)や 情き無ん人ぬ 我ん渡さとぅ思てぃ 架きてぃうちゃら

『恨めしい比謝橋よ。情けの無い人が、私を(那覇の遊郭に)渡そうと思って架けられた橋なのか。』

沖縄の伝説的歌人・遊女、吉屋チルーの琉歌で有名な比謝橋。今は本島南北を結ぶ大動脈。
恨む比謝橋や 情き無ん人ぬ…。(読谷 / 嘉手納)

恨む比謝橋や 情き無ん人ぬ…。(読谷 / 嘉手納)

もちろん当時の面影は残っていませんが、この琉歌をひとり呟くと、その哀しき情景が脳裏に浮かんでくるようです。

1650年に今の読谷村(恩納村という説もあり)で生まれたと言われる吉屋チルーは8歳の時に家庭の事情により那覇仲橋の遊郭に売られてしまいます。その時の道中の心中を歌ったのがこの琉歌と言われています。そしてここにはその石碑も。
恨む比謝橋や 情き無ん人ぬ…。(読谷 / 嘉手納)



当時の比謝橋は木の橋。しかし1716年〜1717年に立派な石の橋に架け替えられています。ここにはその石橋の写真と当時の石碑も残されています。
恨む比謝橋や 情き無ん人ぬ…。(読谷 / 嘉手納)

恨む比謝橋や 情き無ん人ぬ…。(読谷 / 嘉手納)

しかしこの立派な石橋も、第二次大戦後の米軍による道路拡張によってまた新しい橋に架け替えられてしまいました。

遊女となった吉屋チルーは中里若接司(アジ=各地域の首長)と運命的な恋に落ちますが、その身分の違いやその遊女として置かれている状況から、我が身を嘆き悩み、20歳前後という若さで自らの命を絶ちました。

彼女が那覇の遊郭から故郷を歌った琉歌がこれです。

島んとぅなどぅなとぅ くばんそよそよとぅ 繋(ちな)じある牛ぬ 鳴ちゅらとぅみば

『故郷の村も静まり返り、物音ひとつもしないだろう。クバの葉は風でそよそよと、繋いである牛は(淋しく)鳴いていると思うと…』

ちなみにこの琉歌に曲をつけたものが古謝美佐子の『天架ける橋』に収録されています。またチルーの事を歌った『吉屋物語』という民謡曲もありますよね。





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