2010年03月02日
カリブ海漫遊記・トリニダード島写真日記その4
3月1日から3月5日
トリニダード島→アトランタ・ハーツフィールド空港(Microtel Inn1泊)→東京
この旅ももう終わりです。3月3日にはここトリニダードを離れます。
1日は曇りのち雨。朝から乗り合いタクシーで北部のチャグアラマス(Chaguaramas)に行ってきました。チャグアラマスは第二次大戦時は米軍基地だったところで、今はマリーナみたいになっており、カフェやナイトクラブなんかもいくつかある場所です。しかしあいにくの雨。特に面白さを感じず、午後いちにはポート・オブ・スペイン(POS)に戻ってしまいました。POSに戻るとダウンタウン廻り。お土産とかなんか面白いモノを探してました。こちらも特にな〜んも無かったけどね。まぁこんな日もあるでしょう。
2日は晴れ、そして日曜日。まぁほとんどの店が休みってことで…。いろいろな場所を彷徨いましたね。ただちょっと道をそれると人もいない。そんな場所は昼間でも治安は悪いらしいんですが、自分の“治安探知機”を信じて歩き続けました。
Queen's Park Savannah。カーニバルのメイン会場になる場所です。
しかしカーニバルは半月前に終わっています。誰〜もいないだだっ広い公園です。ここも昼間っからレイプなんかも起こっているようなところらしいですよ。注意!注意!
住宅街も“祭りのあと”の雰囲気。活気ないっすね。カーニバルの衣装なんかが放置されていた建物なんかがありました。

寂しいです。
スティールパンの練習場所であるパンヤード(Panyard)も似たようなモノ。飲むための屯(たむろ)する場所化としてました。飲んだくれてヘロヘロの親父達が「酒代出してくれれば軽く叩いてやってもいいぜ!」みたいなノリね。こちらの答えは「No Thank you!」です。いっしょに酒は飲んでましたが…。
しかし予想はしていたけど、厳しいかったですこの街。
夜、Amono Renegadesというパンヤードの道向こうにあるバル(Bar)みたいな店の前でスティールパンやってましたね。やっと最後に見れました。客寄せみたいなもんだとは思いますが…、でもトリニダードを感じた一瞬でした。
軽く酒を飲んだ後、宿に戻って明日の空港へ向かうタクシーの予約(6時半)とモーニングコール(5時半)を頼みました。
そして3日の早朝。やってくれましたタクシーの運ちゃん。タクシーは5時50分に来てしまったんですよ。実はトリニダードは6時前のタクシーは50%のサーチャージがつくんです。サーチャージ狙いで40分の早出。揉めましてよぉ〜運ちゃんとは。宿の親父も呆れてたし。
なんとか話も収めて、結局タクシーの運ちゃんとは軽く話す仲にはなりましたがね。困ったもんですよ。
その後空港へ着き、アトランタへ向かって出国。
トリニダードにはもう来ることはないだろうなぁと思い飛び立ちました。でもカーニバルはやっぱ観たいなぁ〜。次はいつの頃やら。
乗りかえ地のアトランタでは、ディープなサザン・ソウルがかかる腐りかけた飲み屋に行きたかったんですが、探せず残念!
そして東京到着。3月上旬の寒さとこの国の物価の高さに驚きました。(もちろんすぐに慣れるけどね!)
帰って来てやりたかったことといえば。
カレーライスと温泉! やっぱオレは日本人なんです。
おわり。
関連記事:
カリブ海漫遊記・トリニダード島写真日記その1
カリブ海漫遊記・トリニダード島写真日記その2
カリブ海漫遊記・トリニダード島写真日記その3
トリニダード島(Trinidad):面積4,828㎢(沖縄本島の4倍、福岡県全域よりちょっと小さい)、人口125万。最大の都市圏はポート・オブ・スペイン(都市圏人口30万)。他に石油産業で有名なサン・フェルナンド(San Fernando)などの都市がある。1948年にコロンブスにより発見され、スペイン、フランス、オランダ、そしてイギリスにより入植される。1797年にイギリス植民地になり、1802年にイギリス領となる。奴隷解放および奴隷貿易禁止というイギリスの政策により、インド人、中国人が多く労働者として導入され、現在の人口比となった。1962年に独立、1976年に共和国となる。石油、天然ガスなど天然資源に恵まれ、カリブ海の中では最も裕福な国のひとつである。カリプソ、ソカなどの音楽文化も有名。またカーニヴァルはリオのそれと同じように世界的に有名となっている
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トリニダード島→アトランタ・ハーツフィールド空港(Microtel Inn1泊)→東京
この旅ももう終わりです。3月3日にはここトリニダードを離れます。
1日は曇りのち雨。朝から乗り合いタクシーで北部のチャグアラマス(Chaguaramas)に行ってきました。チャグアラマスは第二次大戦時は米軍基地だったところで、今はマリーナみたいになっており、カフェやナイトクラブなんかもいくつかある場所です。しかしあいにくの雨。特に面白さを感じず、午後いちにはポート・オブ・スペイン(POS)に戻ってしまいました。POSに戻るとダウンタウン廻り。お土産とかなんか面白いモノを探してました。こちらも特にな〜んも無かったけどね。まぁこんな日もあるでしょう。
2日は晴れ、そして日曜日。まぁほとんどの店が休みってことで…。いろいろな場所を彷徨いましたね。ただちょっと道をそれると人もいない。そんな場所は昼間でも治安は悪いらしいんですが、自分の“治安探知機”を信じて歩き続けました。
Queen's Park Savannah。カーニバルのメイン会場になる場所です。
しかしカーニバルは半月前に終わっています。誰〜もいないだだっ広い公園です。ここも昼間っからレイプなんかも起こっているようなところらしいですよ。注意!注意!
住宅街も“祭りのあと”の雰囲気。活気ないっすね。カーニバルの衣装なんかが放置されていた建物なんかがありました。
寂しいです。
スティールパンの練習場所であるパンヤード(Panyard)も似たようなモノ。飲むための屯(たむろ)する場所化としてました。飲んだくれてヘロヘロの親父達が「酒代出してくれれば軽く叩いてやってもいいぜ!」みたいなノリね。こちらの答えは「No Thank you!」です。いっしょに酒は飲んでましたが…。
しかし予想はしていたけど、厳しいかったですこの街。
夜、Amono Renegadesというパンヤードの道向こうにあるバル(Bar)みたいな店の前でスティールパンやってましたね。やっと最後に見れました。客寄せみたいなもんだとは思いますが…、でもトリニダードを感じた一瞬でした。
軽く酒を飲んだ後、宿に戻って明日の空港へ向かうタクシーの予約(6時半)とモーニングコール(5時半)を頼みました。
そして3日の早朝。やってくれましたタクシーの運ちゃん。タクシーは5時50分に来てしまったんですよ。実はトリニダードは6時前のタクシーは50%のサーチャージがつくんです。サーチャージ狙いで40分の早出。揉めましてよぉ〜運ちゃんとは。宿の親父も呆れてたし。
なんとか話も収めて、結局タクシーの運ちゃんとは軽く話す仲にはなりましたがね。困ったもんですよ。
その後空港へ着き、アトランタへ向かって出国。
トリニダードにはもう来ることはないだろうなぁと思い飛び立ちました。でもカーニバルはやっぱ観たいなぁ〜。次はいつの頃やら。
乗りかえ地のアトランタでは、ディープなサザン・ソウルがかかる腐りかけた飲み屋に行きたかったんですが、探せず残念!
そして東京到着。3月上旬の寒さとこの国の物価の高さに驚きました。(もちろんすぐに慣れるけどね!)
帰って来てやりたかったことといえば。
カレーライスと温泉! やっぱオレは日本人なんです。
おわり。
関連記事:
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カリブ海漫遊記・トリニダード島写真日記その3
トリニダード島(Trinidad):面積4,828㎢(沖縄本島の4倍、福岡県全域よりちょっと小さい)、人口125万。最大の都市圏はポート・オブ・スペイン(都市圏人口30万)。他に石油産業で有名なサン・フェルナンド(San Fernando)などの都市がある。1948年にコロンブスにより発見され、スペイン、フランス、オランダ、そしてイギリスにより入植される。1797年にイギリス植民地になり、1802年にイギリス領となる。奴隷解放および奴隷貿易禁止というイギリスの政策により、インド人、中国人が多く労働者として導入され、現在の人口比となった。1962年に独立、1976年に共和国となる。石油、天然ガスなど天然資源に恵まれ、カリブ海の中では最も裕福な国のひとつである。カリプソ、ソカなどの音楽文化も有名。またカーニヴァルはリオのそれと同じように世界的に有名となっている
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Posted by antineco at 13:52│Comments(0)
│Island hopping 2008カリブ海備忘録